愛着障害を克服したいブログ

35歳から愛着障害の克服を目指す。そのための取り組みや日々の心情、役立ったことなどをつらつらと。

ドタキャンされたことが、なぜこんなにも苦しかったのか

こんにちは。閲覧ありがとうございます。

このブログで一番読まれているのはドタキャンに関する記事だったりします。

 

changestep.hateblo.jp

 

 

私はあれからもこの彼と色々あったのですが、

最終的には私から告白して見事振られてしまいました。

まあ誕生日当日にドタキャンされているわけですから、

脈があるとかないとか考えるまでもないのですが(笑)

 

無理めな相手に振り向いてもらおうとロケットランチャーを持って突撃して、

それ以上に強力な迎撃ミサイルで撃ち落とされてしまうのは愛着障害あるあるなのかなぁ、なんて今では思っていたりします。

 

さてそんな彼にドタキャンされた当時の私は、海よりも深く傷つき自分を責め

自傷行為をする人の気持ちが初めて分かった気がする」なんて書いています。

当時はすごく辛かったのですが今この過去記事を読み返してみましたら、

新たな気持ちが湧いてきました。

 

「なんで私、そこまで傷つくの?」と。

 

確かに、好きな人から誕生日にドタキャンされるのは悲しいし、惨めだし、

落ち込んで当然だと思います。

ですがそれを何ヶ月もの間にわたって悔いたり、

落ち込んでろくに食事もできなくなったり、

どうやって相手に謝らせてやろうか考えたり、

社会的に失墜させてやろうかと復讐計画を妄想したり(仕事の関係のある人だったので)

油断すると自傷行為に走りそうになる自分を必死でこらえなければならない夜を

幾度もやり過ごしたりするのは

 

やはり行き過ぎというか、たった一度のドタキャンに対して

こんなに深く傷ついてしまっていては

いくつ体があっても足りないなあと思うのです。

そりゃ、人生生きにくいし恋愛するにしてもいつも

「お前を殺して俺も死ぬ!」の極道の道しか歩めないですよね。

 

そんなしんどい生き方、そんな苦しい恋愛の仕方、いい加減やめたいわ!

 

私はこのことがあってから、心底そう思いました。

それから愛着障害のことを調べたり、

克服するためにはどうしたらいいかとかを模索し始めたのですね。

それで、一回のドタキャンでここまで苦しんでしまうのは、

やはりちょっとおかしいぞ?と。

いろいろな書籍や心理学系のサイトを読み漁り、

私がたどり着いた一つの答えを書いてみようと思います。

 

 

「心に時間は関係ない」

心理学では有名らしいのですが「心に時間は関係ない」と言います。

例えば30年前に私にとってショックな出来事、悲しい出来事があったとします。

 

ここでは「お兄ちゃんにおもちゃを壊された」とでもしましょう。

でも「お兄ちゃんは私に謝ってくれなかった」

「お母さんはお兄ちゃんを怒らなかった。

それどころかそんなことで泣く私が悪いと罵ってきた。

そのうえ新しいおもちゃも買ってもらえなかった」とします。

その時の5歳の私の心の痛みは、解消されません。

なぜなら誰も「傷ついた私」の「フォローをしてくれる人がいない」からです。

 

おもちゃを壊されて悲しかったとしても、

素直にお兄ちゃんが「ごめんね」って謝ってくれたら

子供ながらに「いいよ(ムカつくけど)」って許せるかもしれません。

 

あるいは母が私の気持ちに寄り添って「おもちゃ壊れちゃって悲しいね。

お兄ちゃんも悪気があったわけじゃないと思うけど、

大切にしていたものだもんね。今度新しいおもちゃ買いに行こうか?」

などと言ってくれたら傷ついた私の心は癒され

「あのおもちゃは壊れちゃったけど、しょうがないよね。

お兄ちゃんも謝ってくれたし、お母さんは私の気持ちをわかってくれたし、

新しいおもちゃも買ってくれた」

と、気持ちを切り替えていくことができたかもしれません。

 

ですが、私の家族はこのようなことは言えませんし、できません。

なのでこの「おもちゃを壊された時の心の痛み」を持った「私」が、

35歳まで心の傷を抱えたまま育っていきます。

そうすると「心に時間は関係ない」ので、

その後の人生の中で「自分のものを壊される」と言う出来事に遭遇した時に

癒されなかった5歳の私の痛みも一緒に思いおこされるようになります。

 

例えば20歳の私が大切にしていたネックレスを、友達に壊されたとします。

その時に「私」は必要以上に友達をなじってしまったり、

もしくは必要以上に悲壮になったりしてしまいます。

 

友達に対して大激怒して

「人のもの壊すなんてありえない!死んで詫びて!」

とか思わず言ってしまったり、

「ああ、私のことどうでもいいと思ってるんだ。

この壊れたネックレスみたいに、私のことも大切に思ってないんだよね」

とか思ってしまったりするのですね。

(これはあくまで例なので、実際には言ったりしていませんよ 笑)

 

え?ネックレスが壊れただけでそこまで!?

って普通は思うのではないでしょうか。

きっと友達もそのような気持ちだと思います。

「たかがそれくらいで」と。

 

第三者から見たら本当に些細なことです。

「そんなことくらいでそこまで怒ると思わなかった」

「そんなことくらいでそこまで泣くなんて…」

などと言われたことはありませんか?

 

そのように言われると「相手はなんて無神経なんだろう!」と、

また怒りに火がついたりしてしまったりするのですが、

そこは一旦落ち着きたいところです。

 

これは癒されなかった「過去の私」の痛みまで「現在の私」に二乗されてしまい、

その時に感じる痛みや悔しさ、屈辱感、悲壮感がその出来事の数だけ増してきてしまって起こることです。

「ものを壊された」という出来事の裏に「謝ってもらえなかった私」がいて、

「謝ってもらえないのは相手にとって大切な存在じゃないからだ」と感じた「私」がいて、

「私は悪くないのに怒られた私」がいて、

「私が怒られるのは、私が悪いからだ。

何しても私が悪いことになるんだ。この人は私のことが嫌いなんだ」と感じた「私」がいた、その痛みを瞬時に、ほぼ無意識的に思い返してしまうからです。

 

 

じゃあ、どうしたらいいのか? これ以上しんどくならないために。

「心に時間は関係ない」ということを知りました。

じゃあ、一回の出来事(ドタキャンなど)で必要以上に傷つかないためにどうしたらいいの?ってことですが、

それは過去の自分の傷と向き合い、その時の自分を癒してあげること、

その時辛いと感じていた「過去の私」を「今現在の私」がスーパーマンみたいに助けに行くことで当時の私を癒し、助けてあげることが大切だと思います。

 

そんなわけでドタキャンのどん底から浮上した時、

私は今回の誕生日の件だけでなく、

生まれてから今まで「ドタキャン」されたことはなかったか?

もしくは「約束をやぶられること」や「無視されること」に関して傷を負ったり、

トラウマに感じたりするような出来事はなかったか?を

振り返ってみることにしました。

 

そうしたらまあ、あるわあるわ。

過去記事でも書きましたけど、私は誕生日にドタキャンされるのは実はこの彼が初めてではありませんでした。

なんという人生。。

 

しかもこのこの約束をドタキャンされるパターンは実は恋愛相手だけでなく

友人相手にも何度も経験していたことに思い当たり、

余計に絶望が深くなりました(笑)

 

ドタキャンって、実はパターンありますよね。

「あ、この人ドタキャンしそうだな」とか

「あ、なんかドタキャンされそう」ってわかる時ありませんか?

その予感は高確率で当たるのですが、

私はこのドタキャンしそうな人に対する対処法を持っていませんでした。

 

だから毎回ドタキャンされて嫌な思いをし、

その度に昔の古い傷が抉り出され、

必要以上に落ち込んだり相手を恨んだりしていました。

 

それは置いといて。

そんなわけでそしてドタキャンされた時に悲しんでいたり、

怒っていたりする過去の自分に会いに行き、

その度慰め、癒し、受容するということを繰り返しました。

 

なんかスピリチュアルみたいになってきたかもしれませんが、

そして知りたい人がいるかもわかりませんが、

「昔の自分に会いに行く」ってどうやってやるわけ?って思った方がいらっしゃるかもしれませんので、その方法を書いていこうと思います。

よく知りたい人は「インナーチャイルドワーク」とかで検索してみると似たような方法がわかりやすく書かれていると思うので、探してみてください。

 

 

過去の私を救う旅

辛い思いをしていた時の自分を思い出します。

一番近いところの私の例で言ったら、35歳の誕生日を迎える私をイメージします。

朝、彼からキャンセルの連絡がきます。

その時、辛く、悲しく、苦しく、自分を責めて泣いている私がいます。

一人で、ベッドの上で、膝を抱えて泣いています。

その「誕生日当日の私」に、あなたはなんて言ってあげますか?

「ドタキャンされてざまあ」とかはやめてくださいね。

 

きっとこのブログを読んでくださっている方の中には同じように

大切な日の約束をドタキャンされたりして、

私と同じかそれ以上に苦しんだ方がいらっしゃると思います。

そんなあなただからかけてあげられる言葉があると思います。

あなたは、なんて言うでしょうか?

 

私は、こんな感じでした。

 

「誕生日当日にドタキャンなんて、最悪な奴だよね。

そんなに泣かないで…。ううん、いや泣いていいよ。思いっきり泣こう。

だって、その彼のこと好きなんだもんね。いきなりキャンセルされたら傷つくよね。

私をこんな悲しい目にあわせるなんて酷い奴!私が代わりに殴ってやりたいよ!

え?それはダメなの。…そんな奴のこと気にかけて、何て返信しようかな、

怒ったりするのはなんか違うよね、なんて相手のことばっかり考えて…なんて優しい子なんだろうね。

よしよし。大丈夫。大丈夫だよ。私はここにいるよ。

あなたのそばにいるからね。」

 

そう言って泣いている私をもう一人の私がそっと抱きしめます。

その時、泣いている私はどんな顔をしているでしょうか?

また、なんと言っているでしょうか?

 

それを感じながら、辛かった私の気持ちを聞いてあげます。

私の場合は、わんわん泣いて「今の私」に抱きついてきました。

ずっと泣き止まず、ひたすらに泣いて泣いて、泣きまくっていました。

「今の私」は「うん、うん」と言いながら「過去の私」を優しく抱きしめ、

泣いている間はずっと背中をさすってあげていました。

 

これは一度だけで気が済むこともあると思いますが、

これまで我慢してきた経験が長い方や、ショックが大きかった方などは

何度もなんどもやってみると良いと思います。

大切なのは、傷ついた私を叱咤激励してもっと頑張らせようとしないこと。

辛かった、悲しかった、ただその気持ちに寄り添って抱きしめてあげてください。

 

 

「心に時間は関係ない」なら

昔されて傷ついたこと、言いたくても言えなかったこと。

それを蒸し返すには時間が経ちすぎた。

でも、まだ癒されない自分もいる。

そんなこともあると思います。

 

本当の心に蓋をして、言いたいことが言えないままだと後々引きずる時間が長くなります。

なので、その場で言われた時に「ん?」と思ったことは、

少し勇気がいってもその場その場で相手に伝えたり、

「どういうこと?」と一言聞いてみると良いと思います。

「はい?(杉下右京風)」とか一言でもね。

言葉はアレですけど、「あなたの発言に疑問を持ちましたよ?」という意思表示はそれで十分成されるので。

 

それを繰り返して、傷になる前に自分で自分を守ってあげられると

一つの出来事で必要以上に傷つくことは減っていくのではないでしょうか。

 

長くなりましたが、今回はこれで。