愛着障害を克服したいブログ

35歳から愛着障害の克服を目指す。そのための取り組みや日々の心情、役立ったことなどをつらつらと。

依存の手放し方

恋愛で相手に依存してしまうのは苦しい結果しかもたらさない。

何度か恋愛を繰り返すうちに、こう気づく。

例えば、相手からいつ連絡が来てもいいようにスマホを常に持ち歩いたり。

お風呂に入っている時でさえも着信にすぐ気がつけるように

着信の音量を上げてみたり、出入り口のそばに置いてみたりする。

 

食事の時でも、テレビを見てる時でも、友達と電話してる時でも、

ショッピングしている時でも、なんだか落ち着かなくてソワソワしてしまう。

少し暇ができるとスマホを取り出し、来ていない連絡にどこか落胆したり。

 

そうやって一喜一憂するのも恋愛の醍醐味かもしれないけれど、

それがずっと続けば自分自身が疲れてしまう。

待っていても来ない電話、メール、ライン。

だんだんイライラしてきたり。

 

相手からのデートの誘いを待っていても

送られてくる内容はなんだか恋愛とはほど遠い内容。

一週間も相手からの連絡を待ったのに、

何事もなかったかのように平然と連絡が来ると腹が立ってしまったり…。

 

なんだか自分ばかりが相手を好きでいるようで、すごく虚しい気持ちになる。

たまには向こうから求められていることを体感したくて、

わざとそっけない返事をしてみたけど相手は何も感じてないみたい。

 

もしこんな気持ちがある場合はかなり相手に依存してしまっています。

なんだかわからないけれど誰かを好きになると、いつもすごく苦しい。

なぜなら一向に相手から愛されている感じがしないから。

 

その一方で。

 

自立している側も、実は相手に依存している!?

 過去記事の相互依存の話

changestep.hateblo.jp

 でも少し触れましたが、自立側にいる人も実は自分に依存してくる相手に依存していたりします。

 

自立側の人が恋愛でよく感じるパターンとしては

・自分の気持ちがうまく言えない。

・相手がいつも先に甘えてくるので、自分は甘えられない。

・デートの予定や内容を決めるのはいつも自分だ。

・相手から束縛や要求ばかりをされる。

 嫌だと思いながらもできるだけ叶えてあげていると相手が調子に乗って要求がどんどんエスカレートしてくる。

・恋愛の最後はいつも疲れている。相手と別れるとホッとする。

 

などです。

 

このように謙虚で自立して自分からアクションを起こしてあげている側が

自立側なのですが、実は相手を甘やかし、甘えさせておくことで

自分を相手より有利な立場に保っていられるというメリットがあります。

 

ダメな相手と付き合い面倒を見てあげることで、自分の存在意義を見出しています。

ダメな男、ダメな女、と心の中で見下しながら、

「そういうダメなところのある人を世話してあげられるだけの能力がある自分」

が認識できる相手を無意識に選んでいると言えます。

 

この二人がうまくかみ合えば相互依存という

お互いウィンウィンな関係が築けますが、なかなか難しいです。

 

 
じゃあどうしたら依存を手放せるの?その方法は?

お互いがお互いに依存していたのだ、とまず気づくことが第一歩です。

そしてこのブログを読んでいる方はもうその一歩をクリアしていらっしゃいますから、

更にそこからどうすればいいのかを考えてみようと思います。

 

そもそも「依存」と言うのは「愛情」ではありません。

じゃあ「依存」の正体はなんなのかと言えば

「執着」と言い換えることができると思います。

 

この「依存」と「執着」については以前紹介した書籍

「傷つくならば、それは「愛」ではない」などを読むとその違いがよくわかると思います。

 

傷つくならば、それは「愛」ではない

傷つくならば、それは「愛」ではない

 

 

「執着」を一言で私なりに表すとすれば、

「自分さえよければそれでいいというスタンスでいること」と言えるかと思います。

 

自分のことにしか目が行かず、相手の気持ちは二の次である状態

と私は考えています。

 

今、離婚騒動の渦中にある二時間サスペンスの帝王の奥様などは

執着心の象徴のような行動をされていると思います。

第三者から見ると「愛しているなら別れてあげなよ…」などと思わず言いたくなってしまう状態です。

 

うっすら「依存」と「執着」と「愛情」について理解してもらえたでしょうか?

では依存心の具体的な克服の仕方を挙げていこうと思います。

 

 

依存の手放し方 具体的には?

依存とは、執着であり、執着とは「まず自分が大事、相手は二の次」と定義しました。

上に紹介した書籍でもよく出てきますが、

自分が依存から抜け出し相手に愛情を与える行動とは

「自分の痛みを超えて相手のために何かをしてあげる」ということです。

 

具体的にどういうことかと言うと。

・相手が別れて欲しそうだったら、別れてあげる。

・連絡をして欲しくなさそうだったら、連絡をやめてあげる。

・会うのに乗り気でなさそうだったら、会うことをやめてあげる。

 

そんなことできない!と思うかもしれませんが、これも立派な愛情です。

愛着障害があると、ついつい相手に要求をしすぎてしまいます。

もっとたくさん会いたい、連絡してほしい、デートはこうしてほしい、

私がこう言ったら相手にはこう言ってほしいなど、

実に様々な要求を私たちは抱えています。

そして「こうしてほしい」「ああしてほしい」と相手に求めてしまいます。

 

「この要求をやめてあげたら、相手は楽かもしれない」

という発想をなかなか持てないのですが、

自分の会いたいという気持ちよりも「相手は今疲れているのかもしれない」

「会いたくないのかもしれない」という

相手の状況や心理状態を優先してあげる、ということは立派な愛情を示す行動です。

 

※自立側にいる人は「今連絡したら迷惑かもしれない」とか

「こんなこと言ったら嫌われるかもしれない」とか

とにかく相手のことを第一に考えてあげ、

相手のことを気にしすぎて連絡ができないパターンなので、

自分が自立側にいるのか依存側にいるのかで依存の手放し方は変わります。

この場合は我慢しすぎている連絡を自分から入れてあげることで依存を手放すことになります。

 

「いつも自分のことを優先してしまっているなぁ」と思う人は

自分の要求をやめてみる、

「いつも相手のことばかりを優先してしまっているなぁ」と思う人は

自分の我慢をやめて、意見を言ってみる。

 

ごく単純なことですが、「まず自分」ではなく「相手を思いやること」です。

思いやりすぎている人は「自分の気持ち」を時には優先することで、

一方的だった依存のバランスを相互依存へとシフトチェンジしていくことができると思います。

 

 

一度ダメだったからと言って、すぐにやめないこと

とは言っても、普段自分の要求ばかりをしていた人がそれを止めるのは難しく、

いつも自分を出すことができなかった人にしたら

自分の意見を伝えることは恐ろしかったりしますよね。

 

また、それぞれがそれぞれのパターンでずっと人生を生きてきていることも多いので

(依存の人は恋人に限らず友人や親など人生のあらゆる場面で人に依存していることが殆どです。

逆もまた然りで自立の人は仕事や友人や親に対しても自立的で誰かに頼ったりすることが苦手だったりします。)

 

場面場面で「ああまた相手に要求しすぎてしまった」とか

「ああまた自分の意見を言えなかったなぁ」とか言う場面にたくさん出くわすことと思います。

 

そこで「やっぱり要求を押し殺すのは無理だよ!苦しくて死んじゃう!」とか

「自分の意見を言ったり相手に頼ったりするのは無理だなぁ…。

だってこの人頼りないし、自分より劣ってる人にお願いするなんて屈辱的!

こんななら自分で頑張った方が楽だよ!」

 と、また自分の持っているパターンに戻りたくなることも多々有ると思います。

 

ですが。

 

それで今までの恋愛、人生、うまくいきましたか?

ずっとそれで苦しんでいたのではないですか?

 

新しい習い事や新しい仕事に就いた時は、右も左もわからず失敗ばかりしますよね。

自分の人間関係のパターンもそれと同じです。

今までのやり方ではうまくいかなかった。

だから今度は別のやり方を取り入れてみよう。

 

そうして新しいことにチャレンジし、しかも自分の苦手な分野を取り入れていこうという苦行のようなことをするわけですから

心理的に抵抗を感じたり、やっぱり無理だとやめてしまいたくなったりするのは

ある意味当たり前のことです。

 

ですが、愛着障害に気がつき自力で解決を試みるのであれば、

これは避けては通れない道だと割り切って続けてみてください。

時々すごくこのチャレンジにストイックになりすぎてしまう人もいるので気をつけてほしいと思いますが、あまりにそれが辛い時はやめていいと思います。

また単純にあなたの相手がそこまでするに値しない幼稚な人だった、

ということももちろんあります。

 

「ダメだ!やっぱこいつは頼りにならん!」とか

「この人ぜんぜん私の思いを聞いてくれない!」とか

いわゆる

「なんで私(俺)、この人と付き合ってるの?」とか

「なんで私(俺)、この人のこと好きだと思ったんだろう?」とか

ある日突然悟りを開く瞬間が訪れることもあります。

 

もしそれが訪れたなら、それは愛着障害を克服しつつあるサインの一つかもしれません。

(※単純にうまくいかないから諦めの心理から起こるものと、

自分の内面が成長したから起こるものと区別が難しいですが、

もし後者であれば必ず自分の成長に気がつくと思います。)